『カアサン カアサン
稼セガネデノンキニシテクロ』
清美ハソウ言ッテ征ッタノス
ワラシハ清美一人ダデ、我ソウ思ッタノス
ヘイタイサイカネデスムモノナラ、ゼニッコ
ナンボ出ステモヨ、ナントカスベトオモッタノス
一面に苗の植わった田んぼのほとりに一人しゃがんで、寂しい顔をして、思いにふけっていられる。読んでいると、彼女の口から直に聞かされているような気がした。
夕日を浴びて、しょんぼり田んぼを見下ろしながら、息子が小さかった頃のこと、大人になり結婚し、その二か月後に召集されるまで、そしてニューギニアでの戦死の報を受け取るまでの記憶を、いつまでも思い出して、尽きることがないのか。
死んだ我が子と語り合っているのか。
この母親に向かって何と言葉をかけるべきだろう。息子さんは、きっと天国で幸せに暮らしていますよ、などと、気休めにもなるまいと思う。愛する人が死ねば、残された者は悲しむよりほかに何もない。神や仏に祈ることさえもはや余計なことのようだ。
できることは彼女の悲しみを思うことくらいだ。
それにしても、この写真の母親の姿の尊さ懐かしさ。心が素直で素朴な人ほど、自然な美しい姿で悲しむものか。