IHO’s diary

たまにエッセイを書きます。sealine.tenshi@gmail.com

初坐禅

北鎌倉で友人のKと会った。長い付き合いなのに会えば何となくお互いに照れくさい。円覚寺の石段下で久しぶりに彼の顔を見ると、照れくささから無性に口元がにやつくのを誤魔化すべく、彼が珍しく小洒落た帽子を被っているのを半ばからかうように指で示すと、向うは向こうで「何だ、この帽子がそんなおかしいか?やっぱこれレディースかな、いや、安かったから買ったんだよ」と照れだした。

 

鎌倉で何をしようというあてもなかった。いつもKとは話すこと自体が目的みたいなものだからどこで何をしようというつもりで会うわけではないのだ。ところがこの日はたまたま円覚寺坐禅会があることが下の掲示板に出ていた。しかもKは坐禅好きのキリスト教徒であった。無論一緒に参加しようと言い出した。

 

正直私は気が進まなかった。初めてという以前に、第一私は坐禅が不可能な体なのだ。といってどこか悪いわけではない。ただ極度に体が硬いのである。あぐらさえ上体を前に保てないほどひどいやつだ。そこで私は美術好きでもあるKに対し「中世の仏教美術の展覧会もあるらしいよ」と言ってみたが無駄だった。「ただ見るだけじゃつまらない、お前にもぜひ坐禅を体験してほしいんだ」こう言われてとうとう押し切られた。

 

まだ坐禅会まで時間があったから私の好きな東慶寺へお参りした後、鎌倉五山という定食屋で昼食を済ませ、再び円覚寺へ向かった。会場となる居士林の外の低い石垣に他の参加者たちと並んで座って待っていると、案内の坊さんが「今日は途中テレビの取材が入りますのでご了承ください」などと言い出した。足の笑ったみっともない私の坐禅姿を映されちゃあたまらないと思ったが、友は一言「そんなもの気にするな」である。気にすることが修養の足りない証拠かと妙に反省されて何も言えなくなった。

 

やがて時間になって薄暗い道場内へ通された。「テレビにどうしても映りたくない方はあちらの隅の方へお坐りください」とお達しがあったが私は知らん顔を決めこんだ。ありのままなる我が醜態を映したけりゃ映すがいい、どうせそんなもの誰も見やしないだろうと思い直していた。

 

私は室内へ来てしばらくは心が落ち着かず、無暗にKに向かってしゃべっていた。周りがだんだん静かになってゆくのも気づかずにひとりでべらべら口を動かしていた。気が付けば狭い土間を挟んで向かい合わせに坐っていたずんぐりした赤黒い顔のおっさんが怖い目で私を睨みつけていた。何人かはすでに坐禅していた。どうやら素人ばかりではないらしい。ふと横を見るとKも目を閉じていかにも坐りなれた良い姿勢を保っている。私はきょとんとした。

 

初めに坐禅の意義や坐り方について若い眼鏡の坊さんのお話があり、やがて何か木の板をぶっ叩くけたたましい音とともに一回目(五分)が始まった。結跏趺坐も半跏趺坐も私には何ら関係のない言葉だ。私は最初から苦しいあぐらで勝負した。そしてわが身体のおそろしい無骨と硬直とに今更のように驚き呆れた。今にも後ろへひっくり返ってしまいたい誘惑に丹田ならぬ単なる腹筋を強張らせて立ち向かっていた。

 

二回目(十五分)はあっさり観念して正坐。これなら大丈夫。ところが今度は途中から口に唾が溜まってきて、呑みこもうか迷っているとKでない方の隣の若い男性がごくりと喉を鳴らしたので、おれは絶対にそんな間抜けな音は立てんぞとがんばり続け、またもや坐禅は失敗、三度目(十五分)にようやく落ち着いた気持ちで坐っていられた。しかしすべてが済んだ後で、今度は足がしびれて立ち上がることができず、みんながぞろぞろ道場を退出する中、私は一人最後まで畳にひっくり返っていた。テレビカメラはいつ来ていつ帰ったのかさっぱりわからずじまいだった。もし坐禅中一人だけ正座しているまぬけがいたらそれは私である。

 

坐禅会で心を掃き清め今日一日の功徳を積んだつもりの二人は八幡様境内の石灯籠の下にて屋台の牛タン串を喰らい駅近いカラオケ屋で大いに騒いだ。そして鎌倉には喫煙できる店がほぼ皆無と知るや急いで大船まで引っ返し、とある海鮮居酒屋の座敷へ上がりこんだ。私は畳に片膝立て、もう片っぽは投げ出しで後ろにのめるのを片腕を突っ張って支えつつスパスパ煙草をふかし、転職先でヘマばかりやっているというKにくどくど言いたいこと言ってしょげさせたり矢鱈と政治論を吹っ掛けたりしながら、何だか妙な具合に帳尻のとれた楽しい時を過ごした。